手相家まるちゃんのブログ 【2008年12月】
年末の大阪手相鑑定から帰って来ました 2008/12/28
2008/12/28
【出張の話題】
さきほど、大阪の鑑定を終えて名古屋に帰って来ました。帰省ラッシュで大変かなぁ?とも思っていたのですが比較的、新幹線は空いていました。
新幹線の中でもCocco聴いてました。今年一番繰り返し聞いた曲です。不思議とこの曲は気持ちが落ち着きます。最近も就寝前の一曲です。
昨日は早目に私は就寝したのですが、「あっ、そういえば毎日のメルマガ出してないじゃん!!」と2時頃にパッと目が覚めました。
いやいや、昨日の朝、配信予約していたじゃないですか(笑)
ほっと一安心して、たまっていたメールへの返事。
年賀状の準備。
昨日更新できなかった手相のHPの更新。
などなどやっているとすぐに早朝の4時間が過ぎてしまいました。
でも朝型のほうが効率的ですね。それからすぐに新幹線へという慌ただしい一日でした。
さて、この年末は、みなさん、どんな過ごし方をされるんでしょうか?帰省ですかね?ほとんどの方が。
私は29日(月)大須店の年内最終鑑定、30日(火)一宮店での年内最終鑑定。ここで鑑定は年内終了です。
31日〜1日は家族旅行です。心身ともにリフレッシュしてきます。
年始の鑑定は1月4日(日)からでこの日は特別に大須店で鑑定を行います。一宮店でも良かったのですが、なにせ真清田神社のすぐそばのお店ですからお正月の参拝客で、ごった返すのが分かりますから・・・大須店でしたら、大須観音はあるものの、渋滞にはならないと思うのです。
この手相のHPの更新は年末年始も毎日行いますが、メールやその他のお問い合わせについては1月4日過ぎにお返事になると思います。
お急ぎの場合はお気軽にお電話下さい。それでは、皆さん、良い年末年始になりますように!!
追悼 手相にも興味があった飯島愛さん 2008/12/27
2008/12/27
【手相】
私と同じ年齢の36歳の飯島愛さんが亡くなって連日報道がありますが、彼女の報道ほど、変な言い方かもしれませんが、亡くなったことへ優しく言われている方って珍しいなぁ・・・と思います。
今更ながら惜しい方を亡くしたと思います。彼女は確か雑誌や書籍で、自分の手相をいろいろな方に見てもらっていると記憶しています。
そのことは手相家まるちゃんもよく記憶していて、非常に知性が発達した手相の方だったはずです。
普通はお亡くなりになった原因についてもっとどうだこうだとか言われるはずの類だと思うのですが、不思議とそのあたりについてはマスコミもあまり触れないのは、彼女の生前の人徳だったのかな?とも思います。
私の手相のまぐまぐプレミムメールマガジンの読者の皆さんから、飯島愛さんの命式から今回のことや彼女のことを取り上げて欲しいというメールを多数頂きまして、彼女の人気の健在ぶりを認識しました。
ただ、彼女の場合は正式な出生に関するデータがいまひとつ信憑性に欠けるため、メルマガでは、そのことを申し上げて掲載をお断りしたことがあります。
享年36歳と短命ではありましたが、非常に濃い人生かつ多くの人に影響を与えたダイナミックな人生だったかと思います。謹んでお悔やみ申し上げます。
たった一人の人間だけど、それが尊い 2008/12/26
2008/12/26
【手相占い】
今日が仕事納めの方も結構いらっしゃいまして、かけこみで手相鑑定をする一日になりました。
昨日でしたか男性もいらっしゃるので、「あれ?」と思ったら、教員なんですよね。確かに子供たちは冬休みに入りましたから、手相見にくるんですね。
今、ちょうど鑑定の合間に日記、書いています。20時過ぎから、大須の合点承知ビルの占いをされている方数人で、忘年会です。
「もう、忘年会の季節かぁ〜」と季節感がなくなった名古屋の空を見て、つぶやきました。
それにしても今年は世の中もプライベートでも結構いろいろありました。
まさかこんなふうに世の中の景気が傾くとはホロスコープ以外では知り得なかったですし、年始の石油の問題から現在のトヨタ・ショックに至るまで、世界はやっぱりひとつなんだと思わざるを得ません。
プライベートでは、10月に、あっさり独立してしまいましたが、なんだか皆さんに背中を押されているみたいで、おかげさまで毎日、元気に過ごすことが出来ています。有難う!
毎日、多くの皆さんと会って、話して、様々なことを知ります。
数日前に、Coccoの映画「大丈夫であるように」を見て、いろんなことを考えました。沖縄のこと、青森のこと。。。
印象的だったのは、Coccoが青森のファンからの一通の手紙がきっかけで、青森の六ヶ所村の核関連施設に行ったシーンです。
私の故郷も六ヶ所村からそう離れたところではありませんから、自分のことのように思えて、ジーンンときましたね。
私の故郷は十和田湖の近くで、国立公園にもなっていて、観光の街ですから、幸いにして核関連施設を誘致しなくても、生きていくだけの資源があって、それを頼りにみんな暮らしている。
だけど、何か新しいことをしようと思うと、ふるさとを離れないと、なかなか活動できなかったりする一面もあって、私も若いころは自分の進路についてよく悩んだものです。
大学4年生の就職活動のときも自分が何をして良いのか分からずに、悩んで、確か古典を一冊、持ってきて「えいや!」と開いたページに「これ以上、教えることはない」という言葉があって、
「ああ、そうか。本当はいろいろと周囲の人が僕に教えてくれているんだけど、受け取り手の自分が器が小さいばかりに分からないんだな」と悟りました。
それからは、あまり焦らずに、今の自分にベストでありさえすれば、自ずから、進むべき道が出来てくるのではないか・・・と思えるようになったんですね。
長い間のビジネスマン生活から、鑑定漬けの生活に変わったわけですが、人間が変わったわけでもなく、以前と同じような起床時刻で、以前と同じように朝、子供と一緒にお風呂に入って、送り出して事務所に向かう。
平凡であっても日々、新たに起こりうる出来事に夢を見出して、楽しみながら生きていこうと、Coccoの映画を見て、深く思いました。
また、たった一人の歌い手を撮影した監督が、撮影しながらボロボロと泣いてしまったと手記にありまして、監督の気持ちが分かったような気がしました。
たった一人の歌い手、たった一人の人間。
考えてみたら、ちっぽけな存在かもしれない。でも、そのたった一人が多くの人を感動させたり、導いたりすることも出来る。
私もたった一人の人間だけど、私が出来ることは、少しづつでもやり遂げていこうと思いました。
なんだか小学生の反省文みたいですけど、今日はそんな気持ちの一日でした。